ほっちゃん_happyブログ

経験40年以上の現役一級建築士の"happy"提言

マスク生活はまだ終わらない

マスクなんてほとんどつけたことのなかったぼくが、
いまではマスクをつけることがすっかり習慣になってしまった。
うっかりすると、マスクをつけていることさえ忘れてしまい、
最初の頃、洗面所の鏡に映った自分を見て、

マスクが必要なときもあったね。

マスクはもういらない

「おっ、俺がマスクをつけてるぞ」
と、妙に感心して見入ったりする。

ちょっとした別人である。
これが自分なのかと、変な気持ちになる。
いつのまにか、立派なマスク中毒症になってしまっているではないか。

笑いごとではすまされない。
それもこれも、みんなコロナ様のせいなのだ。
  

いつ頃からマスクをつけはじめたのか。
考えてみれば、まだ、たかだか3年足らずである。

コロナで周囲がざわつきはじめた頃、あわててマスクを買いに走ったら、
すでにマスクは姿を消していた。

 

 

そうこうしているうちに、わたしの居住するS市の中心部でクラスターが発生した。
それからアッという間にS市は、
県内でダントツのコロナ感染者発生地になってしまった。
       

勤務先でも、S市から通ってくるぼくのことを心配して、
「だいじょうぶですか」と聞かれたりした。

しかし、いまでは、そのS市のコロナ感染者数ランクは、県内でも、
ぐっと下位に行ってしまった。
そんなことで競ってもどうするのか。
正直なところ、すこしだけ、悔しいような気がしないわけでもない。

いまやコロナはすっかり日常になってしまった。
マスクをつけることが、立派な習慣になってしまった。
わずか3年足らずで、すべてがコロナに支配されてしまったのだ。
       

この見えない敵に、ぼくたちはどう対処すればいいのか。

三密を避ける。
消毒をこまめにする。

当たり前のことをするしかない。

マスクをつけていると、妙に安心するところもある。

もともと感情がバレバレになる口元が隠れてしまうので、他人の心理状態を読むことが難しくなるのだ。
逆に、こちらの心の内もバレずに済む。

「どうも、ありがとうございました」と、お礼を述べながら、
(あっかんべえ)
と掌を返しても、相手には分からないで済む。
かもしれない。

本音と建て前をおおっぴらに使い分けることができる?
もっとも、これはマスクとは関係ないか。
大げさにいえば自分の生き方の問題だ。

 犬を散歩につれていくとき、ヒゲを剃らなくても無精がばれずに済む。
ぼくにとっては、これがいちばんありがたい。

いつだったかテレビで、どこかの国で外出制限が解除され、
マスクがいらなくなったというニュースをやっていた。
キャスターが、「やっとマスクから解放され、自由を取り戻しました」
というようなことを真顔で述べていた。

えっ、マスクが自由を奪ったの?
ぼくは妙な気持ちになった。

ぼくにとってマスクは、いまや必需品であり、それこそ顔になじんだ『お面』のようなものなのだ。
マスクによって自由が奪われるという感覚は全然ない。

『マスク』いうお面をつけた役を演ずる。
ただそれだけのこと。

それも悪くないか。

マスクは今ではどこにでも置いてある。