散歩をするようになって気づいたことが二つある。ひつとは、自分のために散
歩するのは20年ぶりだということ。もうひとつは、散歩は、ただのウォーキ
ングではないということだ。
先月、二代目のゴールデンリトリーバー(リリー)が癌で急死した。8歳の若
さだった。
とつぜんのことで意気消沈していたわたしを、そんな「ていたらく」でどうす
るの!と叱咤激励してくれたのも、その亡くなったリリーだった。
リリーが天国で悲しんでいると気づいて、やっと鉛のように重い腰を上げ、散
歩する気になったのだ。
散歩といっても、近所を30分かけて回る、というだけのもの。ダイエットた
めでもなく、特に目的を設けて歩きはじめたのでもない。気晴らしに、とにか
く歩いてみよう、というわけである。
歩きはじめて分かったことの二つめは、散歩は思ったより全身運動であるとい
うことだった。
犬との散歩は、先代のゴールデンリトリーバーと二頭合わせて20年以上もし
てきた。
犬との散歩は、犬のストレス解消になっていたとしても、飼い主の運動にはな
らない。
同じコースを歩いても、ひとりだと30分で回れる。リリーと一緒のときは一
時間かかっていた。
犬と歩くことことにはさまざまな楽しみがあった。いろいろな人と出会い、ち
ょっとした会話ができる。公園で子供たちに囲まれ、わいわいと賑やかで楽し
いひとときを過ごしたことなど、いっぱいあった。
そのような楽しみは失われてしまったけれど、ひとりで歩くと、久しぶりに自
分のからだの中から「チカラ」が湧きだしてくるようで、なんだかすこし若返
ったような気がしてくるのだ。
思わぬ発見だった。ようやく元気を取り戻しかけたわたしの姿に、リリーも天
国で喜んでくれているにちがいない。
リリーは自らの命をかけて、そのことをわたしに教えてくれたのかもしれな
い。
な~んてね。
柄にもなく感傷的になったりする今日この頃である。
いやあ、散歩はただのウォーキングなんかじゃない。いいもんだ!
ありがとう。リリー!