ほっちゃん_happyブログ

経験40年以上の現役一級建築士の"happy"提言

通勤でも楽しめる! 運転の魅力と楽しみ方

勤務先まで片道41キロあまり。くるまでおよそ1時間の長距離通勤である。これを週5日ペースで繰りかえすので、月にすれば走行距離は1600キロ以上となる。こうして、改めて数字にしてみると、我ながらかなりの長距離通勤だと感心する。

しかし、それがつらいかというと、まったくそんなことはない。むしろ楽しいくらである。くるまの運転は、全身運動だと思う。さらに頭も使うし、五感もフルに使う。いや、味覚だけは使わないか(笑) その代わり第六感は大活躍する。だから、退屈しているヒマなどないのだ。つねに緊張しているのに同時にリラックスもしている、そんなふしぎな時間なのだ。

くるまは自分をまるごとどこかへ運んでくれる。

くるまは最高のオモチャ

一点を見つめるのではなく、ぼんやり広く視界に捉える感じ。前のくるまだけでなく、その先のくるまの流れまで大まかにつかみ、さらに後方の流れまで予測しておく。すごく大変そうに思えるかもしれないが、じつは長くくるまを運転していれば誰でもつかめる感覚である。

それは、無我の境地というか、まるで『ゾーン』に入ったようで、快感なのである。
ことさらスピードを出すわけでもなく、くるまの流れに素直について行くだけで、毎日のように『ゾーン』の境地が味わえる。だから長距離通勤はちっとも苦にならないのだ。

それどころか、くるまの運転は最高の老化防止法にもなりうる。
運転しながら、今日の仕事の段取りや問題点を洗い出したり、仕事の優先順位などをまとめたりする。さらに、以下のことに注意しながら運転している。といっても、ほとんど無意識のうちにそうしているのだが。

・まっすぐに走る
・車間距離をきちんと守る
・一定のスピードを保つ
・走行中にブレーキペダルをむやみに踏まない
・カーブを曲がっている最中にブレーキペダルを踏まない
・路面の中央線や路肩の白線はできるだけ踏まない
・長い下り坂や上り坂では適切なシフトチェンジをする
・右まわりの曲線では右側の中央線を目印にする
・左まわりの曲線では左側の白線や縁石やガードレールを目印にする
・直線では主として左側の白線や縁石やガードレールを目印にする
・左側に寄りすぎない
・右側に寄りすぎない
・ウインカーを早めに出す
・停車するときは早めにブレーキランプを点灯する
・後ろに近づきすぎたくるまには警告ランプを点滅する
・ブレーキはふんわりと踏む

昨今、なにかと高齢ドライバーの事故が問題視されることが多い。
「また高齢者の事故だ。一刻もはやく免許を返納すべきだ!」
と高齢者が悪者にされる。
しかし、警察庁の平成29年交通事故統計データによれば、事故の多い年齢層は、

 1位:16~19歳
 2位:20~29歳
 3位:80歳以上

となっている。
高齢者とは65歳以上のことだ。80歳以上でもこの順位である。この数字は事故の数であり、率ではないので正確ではないが、高齢者の事故が特別多いとはいえないのではないか?

高齢者の運転=危険
こんなレッテルは御免被りたいものだ。

もういちど言う。きちんとした運転してさえいれば、

高齢者の運転は最高の,
老化防止法にもなるのだ!
 
かといって、わたしは運転がうまいとうぬぼれてるのではない。それどころか、バックはとても下手で苦手である。ぶつけたことはないものの、なぜか、まっすぐ入らないのだ。いつも微妙に曲がってしまう。根性が曲がっているせいか? バックモニターを参考にはするが、左右の間隔がどうしてもうまくつかめない。下車して、「やっぱり曲がっていたか」と苦笑いをすることになる。

わたしはスマホなしでも全然困らない(関係ないか?)人間だけど、バックに関しては困ったものなのだ。何十年たっても変わらない。毎日の自宅の車庫入れでさえ、しばしば入れ直すことになる。いったい何なんだろうか。

それはともかく、くるまを運転していて、最近目につくことがある。そのひとつがウインカーの出し方である。ウインカーは、30メートル手前、もしくは3秒前に出すことになっている。自動車教習所でみんなそう習ったはずである。ところが、そのルールをきちんと守っているドライバーの方か少ない。右折レーンに赤信号で停止しているのに、青信号に変わり、右折直前になって、ちょこんとウインカーを出すドライバーがとても多いのである。

ウインカーを点灯するのは、いうまでもなく、前後のドライバーや周囲の歩行者などに、自車のうごきを前もって知らせて注意を促すためである。

最近のドライバーは、自分に向けてウインカーを出しているように見える。ウインカーを点けなければいけないからそうするだけで、まわりに自車のうごきを知らせるという本来の目的が欠けているとしか思えない。

周囲に、自分のくるまのうごき方がどう見えるか、どう思われるかという想像力が欠けているのだ。それは思いやりの精神でもある。それは日本人の美点ではなかったのか?

片側一車線の自動車専用道路でさえ、あいかわらず、あおり運転すれすれの運転をしているドライバーもがいる。信号のない一本道なので追い越しもできないのに、なぜなのだ? 思わず首をかしげる。

こちらが合流車線から走行車線に入ろうとしているのに、頑として譲ってくれないくるまもいる。合流車線は短いのだから、はやく走行車線に入らなければ危険だ。自分が逆の立場になったら、どうするのだろう?

合流区間はほとんど二車線になっている。そのことをいいことにして、まるで追い越し車線を走行するように、後方から強引に割り込んでくるくるまもいる。

いくら急いでも、一台二台追い越したところで、長い流れのなかでちょっと順番が変わるだけで、到着時間が節約できるわけがないのに。無駄な悪あがきで危険でしかない。感情をむき出にして、あたりに不快感をまき散らしているだけだ。
 
ときどき、あのドライバーはどんな顔をしているのだろうかと思うことがある。会社ではきちんと仕事をこなし、家庭に帰れば良きパパなのかもしれない。でもなぜか、くるまを運転すると人格が変わってしまう。そんな姿を誰も知らないとしたら……。

くるまの運転には明確に人柄が表れる。無防備で隠しようがないのだ。人となりから家庭環境まで丸裸にされてしまうのだよ。
 
SNSの時代。どうせわからないのだから何をしてもいいという風潮がくるまの世界にも反映しているのかもしれない。

ひとごとではない……